雑談 いってらっしゃい、気をつけて と 神頼み
ブログを見にきてくれた人、僕を知ってくれている人、これから知り合う人、こんばんは。今日も覗きに来てくれてありがとう。僕はどんな人でも縁があれば出会えると思っている。まだ、出会っていない人は、いつか、どこかで会おう。
今日も何か皆さんの役に立つことが話せればと願っている。
このブログは、あくまでも僕の考えであり、内容によっては、真実でないこともあるかもしれないし、僕の考え方や方法が読者の方々が真似をされても、生まれも育ちも周りの環境も違うので、ふさわしくない場合もあるかもしれません。ですから、もし、この考えに賛同されて行動する場合は自己責任でお願いします。
また、僕自身、ブログに書いていることをしっかりと実行しているかというと、気付かないうちにできていない時もあると思いますが、その辺はご了承願います。
みなさん、こんばんは。
心理学の中に、
前提という考えがあります。
前提というのは、
事実でも真実でもないのに、さぞ、本当であるかのように存在しているものや事です。
例えば、「男の子だったら、男の子らしくしなさい。」とか、「女の子は女の子らしくしなさい。」とか、「お兄ちゃんでしょ。お兄ちゃんらしくしなさい。」とか。
そのらしくの中に含まれている内容は、こうあるべきだという一見みんながそう思っているが本当はそんなものは存在しなくて、また、人の数だけそのらしくがあって、みな違う。
例えば、男の子らしくのらしくは、泣いてはいけないとか、我慢しなさいとか。
そういうのが、心理学でいう前提と言われるものです。
そこで、多くの人が、出かけるときに言う言葉。
「いってらっしゃい、気をつけて!」
でも、よく考えてください。
この「気をつけて」という言葉。
この言葉の前提は何か?
「事故やアクシデント、ハプニングというような良くないことが起こる可能性がわずかでもある。」ということが、前提になっている。」
だから、僕はそういう時は、
「楽しんで帰ってきて!」と言います。
これは、「楽しむ」という前提と「(無事に)帰ってくる。」という前提が含まれている。
何か、事故やけががあれば、帰って来れないでしょ!
だから、僕はいつもそういう。
神頼みにも、前提が含まれている。
それは神様には、いろいろなお願いごとをするでしょ。
でも、
実際は叶っていない、もしくは叶わないことが前提。
だから、お願いをするたびに、特に、同じ内容で次にもお願いするということがあれば、それは次にお願いをする時までは、そのお願いは叶えられないということが前提になっている。
だから、
お願いをするときは、例え、叶っていなくても、かなったという過去形でお願いをしないといけない。
でも、これはあくまでも心理学的な考えで、
宗教的には、仏壇には領収書的お願い。
神様には請求書的なお願いをするのが、本当らしい。
宗教家・ひろさちやさんの話です。
ご先祖様には、お願いをしてはいけない。
なぜなら、ご先祖様は子孫を守るのが仕事というか、当たり前なのに、その上ですることは、失礼にあたる。
みんなにも経験があるだろう。
「わかっているのに、それは言わないで。自分でちゃんとするから。」と。やる前に注意をされることが。
つまり、ご先祖様には命令に当たるそうだ。
また、神様には請求書的お願いをするそうだ。
これは結局、仏様、仏壇にはお願いをしてはいけないということが一番いいたのでしょう。
これは僕が今回のブログで話していることと違っているけれども。
ひろさちやさんたちの考えでは、そのようだ。
今日ものぞきに来てくれてありがとう。