ブログを見にきてくれた人、僕を知ってくれている人、これから知り合う人、こんばんは。今日も覗きに来てくれてありがとう。僕はどんな人でも縁があれば出会えると思っている。まだ、出会っていない人は、いつか、どこかで会おう。
今日も何か皆さんの役に立つことが話せればと願っている。
このブログは、あくまでも僕の考えであり、内容によっては、真実でないこともあるかもしれないし、僕の考え方や方法が読者の方々が真似をされても、生まれも育ちも周りの環境も違うので、ふさわしくない場合もあるかもしれません。ですから、もし、この考えに賛同されて行動する場合は自己責任でお願いします。
また、僕自身、ブログに書いていることをしっかりと実行しているかというと、気付かないうちにできていない時もあると思いますが、その辺はご了承願います。
みなさん、こんばんは。
これは、僕が実際にあるところで、目にした経験の話です。
最初に僕の言う良い先生とは生徒の自主的人間的成長へと導く先生のことを前提とします。
これは決して、悪口のつもりはありません。
でも、何人もの人にこの話をすると、納得する話です。
ちなみに、良い先生と人気のある先生は、イコールではない場合とイコールの場合も時にはあります。
ある先生の話です。
その先生には、生徒がいつも集まっています。
そして、生徒の言うことは、何でも聞いてあげます。
聞いてあげるというより、生徒の自主的な意欲を奪ってしまいます。
それによって、本当はその生徒は自分でできるんですが、やらなくなってしまいます。
つまり、その先生に依存的になっていきます。
また、その先生はあるところにある障害を持っています。
これはあまり具体的に言うと、悪口ではないといえども、わかる人はわかるので、あえて、抽象的にします。
だから、あるところというのは、精神的なところかもしれないし、肉体的なところかもしれないし、慣行的なところかもしれない。
そして、先生も生徒に自分の障害がある部分で、できないところの仕事を手伝わせます。
生徒はそれを自分が先生を助けることができることがあると勘違いをし、手伝います。
教師が障害を持っていて、手伝ってもらうことには問題はないと思うけれど、それを生徒にさせてはいけない。
同僚の教師に手伝ってもらうべきだ。
もちろん、手伝ってもらっていることもある。
ついでにいうと、もっとひどいのは、ある時期、自分の仕事の片腕的な手伝いをしてもらっておきながら、その教師がいざ、解雇させられるとなっても、助けようとしない。
結果的には、その教師は辞めさせられた。
話は戻る。
つまり、教師も生徒に依存している。
共依存である。
教師は手伝ってもらった生徒にお礼を言う。
生徒はそれを喜んで、また、手伝おうとする。
ちなみに、全てとは言えないが、手伝う生徒の家庭環境は、あまり、よくない。
つまり、その親たちは、子どものことをだめ生徒と思って、子どもをよく言わない。
つまり、生徒からすれば、自分はあまり人に役に立たない人間だと思ってしまう。
それは、そうだ。多くの子どもは親から、「・・・してはいけない。」「・・・は、してはだめ。」と、一日にどれくらい言われるとこでしょう。
親は子供のため と思っている 自分のために 子どもを叱ります。
そのたびに子どもの心は、自分がダメな人間だと思ってしまう。極論を言うと、自分は人の役に立たない人間だと。
そんな時に、誰かの役に立てれば、それは嬉しいに決まっている。
また、その教師はそういう生徒たちから、他の生徒の情報を聞き出します。
そして、さぞ何でも知っているかのように、生徒に話します。
生徒は、何で知ってるの?と驚き、先生の凄さに、魅力を感じてしまう。
ただ、他の生徒から聞いただけなのに。
そうこうしながら、生徒は自分でできることも教師が手を出して、骨抜きにされ、教師は生徒に自分の仕事手伝だわさせて、さぞ、生徒が自分に価値があるように思わせる。そんなことをしなくても、十分、生徒なりの価値があるのに。
そうしながら、お互い共依存して離れなくなるというか、教師が生徒から離れられなくなってしまう。
それを見て、そんな心理的なことを理解していない周りの人間が、その教師を見て、人気がある先生と思ってしまう。
なんと、嘆かわしい話だ。
その上、もっとひどいのは、どんどんその教師の周りに生徒が集まり、それはいいんだが、全員に対応できなくなって、時には、生徒を待たせた上で、「ごめん、今日は無理やわ。」と言って、帰らせる。
ここで、一番のポイントは
、「口は出せども、手は出さない。」ということを実行することだ。
つまり、
以下に自分でできるように、指導することだ。
今日も最後まで見てくれてありがとう。